戦艦山城は、1913年に起工され1917年に就役した超ド級戦艦です。巡洋戦艦の金剛型をベースに攻撃力を強化した設計で国産された、この「扶桑」型戦艦の扶桑・山城の2隻は、完成当時世界最大の戦艦、かつ初めて排水量が30000トンを越えた戦艦でもありました。
しかし、その後設計上の問題や第一次大戦の戦訓などから各種の欠点が露呈し、幾度もの改装が施されました。若干角度の違う写真こちら
(写真をクリックできるものは、クリックすると別画面で多少大きい写真が見れます)

 

 

 

 
 
 
 

長いことWLシリーズの駄目キットの代名詞として君臨?した、アオシマの扶桑・山城が2007年初頭にリニューアルされました。
正直、MGとかみて出来はよさげだったので、そのリニューアルは嬉しいなと思いつつ、山のような手持ち在庫からしてまあ組む事はないと思っていたキットだったのですが、先日使わなくなった銀行口座を解約したら数千円が手元に戻ってきて、もともとも何も自分の金なのですが、何か臨時収入のような気がして>ダメな人の典型、帰り道にあった模型屋に寄ったら山城があったので、発売後ひと月位でしたが、つい買ってしまいました。
そういえば以前同僚に山城って苗字の人(男)がいて、合うたびに戦艦山城か山城の国を連想していたので、その刷り込みでつい購入してしまったのかも(^^;
反対側からみた写真こちら

追記:その後フジミからも山城のキットがでたり、アオシマからリテイク版がでたりして、2012年現在ではさらに進化&選択の幅が拡がっているようです。嬉しい事ではありますが、かつての旧キットから新キットが出るまでの時間と比べると、ちょっと速すぎな気もしないでもないような・・・。まあ贅沢な悩みですけどねぇ(苦笑

 

 

 

 
 
 
 

そんな動機だったので、積んだら間違いなく積みっ放しの可能性大の為、ネット上某所に出ていた私設の組立説明書の注意点(暫定)や過去作例の載った雑誌や実艦の写真などを参考に、素組みベースで一部プラパーツ交換やパテ埋め・パーツ追加程度の工作で組んでみました。エッチングも水密扉とマストの一部と予備舵の部品以外は使っていませんが、無くてもきちんと手間かけて丁寧な作業をすれば、かなりの仕上がりになると思います。製作期間はひと月くらいかな。
ただ、やはり甲板マスキングは・・・出来がいいだけになおさらきつかったです。

 

 

 

 
 
 
 

艦の艦橋から中央部など。反対側から見たような写真こちら
が、やはりアオシマというか、微妙な箇所はちらほらあって、とくに艦橋などはかなり注意して組む必要があると思います。へたっぴな私などは最後の最後で一部隙間ができてしまい、突貫修正を余儀なくされました(泣)

 

 

 

 
 
 
 

艦の正面より。
例の艦首甲板のスジは修正の結果、私の腕では完全には消せないなあという感じですが、塗装によるごまかしも経て、光の具合と見る角度によっては遠めぱっと見ではほとんど分からなくなりました。が、それ以外の角度で見るとかなりアレでorzですが・・・。
まあコストや維持管理の都合と先駆者たるレジンキットにもまだ居場所があると思えば、これはこれでいいのかな。

 

 

 

 
 
 
 

斜め後から。
このキットを買ったら、仮組みでも一度はしたいってのが、射撃時の図では?(笑
まあ、砲身以外動かしていないので、あくまでイメージですが、多数の砲塔が艦全体にあるせいで、この構図においては他の艦より妙に迫力ある気がします。

 

 

 

 
 
 
 

斜め上より。別構図こちら
良い出来のキットだけに、エッチングや張り線して見てるだけで満足、という方も多いと思いますが、やっぱり実際にさわっていじってイロイロしてみたくありません?というのも、またある種の人情というもの(笑)
というわけで、片方の砲身だけ両面テープ固定にしてみました。ガンプラですらも完成品含めより可動化な方向にあるしね。でも通常時は二本の砲身がなかなか同じ角度で止まってくれない&若干隙間が出来るので、こだわる方にはあまりお薦めではないかも。

 

 

 

 
 
 
 

艦尾と艦載機など。艦載機のデカールは、ピットロードの物を流用。
今回の作例では、軍艦旗を艦尾に掲げていますが、これ実は小学生or中学生の時に作った船の模型に掲げていたものなのです。
先日、しまってあったかつての作品をみてみたのですが、さすがに子供時代に作ったものだけあって、説明書を純粋に信じ、作業は雑で接着剤はみでまくり。壊れている箇所も多く、再利用できそうなモノとしては旗くらいしかなく、なんとなく手にとってはみたものの、しばらく卓上に放置していたのです。
正直、今回も旗を掲げるつもりはなく、やるとしても後部マストの所にやるのでしょうが、張り線をする気になれなかったのと、まあ昔ながらでもいいか、という気になって、見本作品のごとく艦尾につけてみました。
そんなわけで、○○年前に掲げられたあの軍艦旗は、今もはためいています。

 

 

 

 
 
 
 

艦の後から。
幾多の長槍をかかげている様に見えて、なかなかに勇壮です。が、現実の戦史は悲惨な結末でした。特攻ではないにしろ、帰還率は水上特攻とされた菊水作戦よりも低いのでは?
確かに山城は低速ではありましたが、イギリスなどは同じような低速の戦艦を船団護衛に活用していました。その任務であれば低速戦艦でも十分に務まり、石油の確保は死活問題だけに重要任務、なにより血の一滴とされた石油を運ぶ現地部隊にとっては、まがりなりにも戦艦が護衛してくれるとあれば、士気も大いに上がったことでしょう。まあその使い方をしていた場合、既存の旧海軍の兵力&運用では、昭和19年までもっていた保障もありませんが・・・。

 

 

 

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